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野菜の皮

昨日は友人の誕生日パーティーだったので他の友達と会った後(自宅でおでんを振る舞った)、現場へ向かった。全員を深く知っている訳ではなく知り合いレベルの人もまあまあいたので少し身構えていた。私ははじめましてのタイミングで自己紹介とか馴れ初めレベルであればかなり話せるのに、3回くらい会ってある程度話をするとその後何を話せば良いかわからなくなってしまう。

タイミングで誰も話す人がいなければ彼と話すけど、今不在のため1人参加というのもやや身構えてしまう要因だったと思う。

でも実際のところとても楽しかった。

主役の友人へプレゼントとして手頃な大きさの生ハムの塊を持参した。高級すぎず、かといって自分で買わない値段のものにしたけど包装紙で包むのもなんとなくtoo muchな気がして、直接リボンを巻いた。我ながら可愛いラッピングだったと思う。

今まではパーティーという場で流動的に色々な人と話すことにいつまで経っても慣れなかったものの、なぜか昨日は何も考えずにその場を楽しめた。会話を楽しんだり相手を知ったり、さらに自分の情報を開示することになぜか抵抗があったんだと思う。それ以上に相手が自分との会話を楽しんでいるか(自分の話に興味あるか)とか、相手がどう思っているかばかり話してしまっていたから。

『結構思いついたことをそのまま話しても良いんだ』という、文字にすると当たり前すぎる事実に改めて気づいた。自分の脳内では、人へ話すときと思いつきの間に一つプロセスを挟む。"この話は(相手との距離感/相手の興味/話のタイミング)に適切かどうか"という思考だ。これは仲の良い友達には適用されない。所詮主観的なフィルターでしかないので、言い換えてみると無意識な相手へのジャッジだと思う。

自分以外の人の興味や思考なんて分かるわけないんだから、この自分の変な"頑張り"でどうにもならないことを無理やりどうにかするんじゃなくそのままにすることが大事だと思った。それはある種相手をそのまま認めるということでもある気がする。

 

最近自分は外部からの情報をすんなり受け取れている。今までは自信が今以上に無い故に1人の方が気楽で何日も部屋にいたりしたけど、そうなると自分だけの世界になってしまう。

 

パーティーへ行って気疲れせずむしろエネルギーをもらったのは久しぶり。自分は内向的な人間と思ってたけど、こういう感情になれると人が好きだなーと思う。ますます制作意欲が増した。