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やっと生活の仕方が分かってきたかも

しれない。

自分は本当に予定管理が下手すぎて、時間があればあるだけ作業に費やすのに集中できなかったり作業以外のことが疎かになって毎回気がついた時には取り返しのつかないことになっていた。部屋が汚い、具合悪い、心がしんどい。人に会うのがめんどくさい、否、こわい。

時間がありすぎるのがいけないんだ!と発想の転換。しかしここまできてマルチタスクが得意なわけはなく、他の予定を色々入れたことにより何からして良いか分からず精神が終わる。

ギリギリで生きていたくないのにも拘らず、毎日朝起き上がるのでさえ時間がかかる。

 

でもこの前いつもと違う心がけを少ししただけなのに最近めちゃくちゃ調子が良い。

 

これはある日のカウンセリング(前に書いたかもしれないけど最近通い始めた)の予約を忘れてしまったことに始まる。

作業に集中しすぎて翌日の予定を確認しないまま眠ってしまったことにより、朝早くの予約が頭から抜け落ちた状態で目を覚ました。

(もちろん自己嫌悪にまみれながらしっかり謝罪しました)

 

 

以下改善のためにやったこと:

①普段私は予定をカレンダーアプリに記入しているので、iPhoneの設定を変更。わざわざアプリを開かなくてもホーム画面とロック画面に予定一覧が表示されるようになった。

 

②今不安に思っていることや問題点の思いつく全てをノートに書き出し、原因と解決策を考えた。

 例…早起きできない→やることが分からずダラダラしてしまう&ただ単に夜更かししてしまっている→やることリストを書く&なるべく早く寝る。

 

③②で書いたことの中からすぐ解決できそうなことに着手。例として、やることが分からず朝だらけてしまっていたので1日のスケジュールを細かくアプリに登録した。作業をしてると忘れてしまうこと(家事や運動など)も予定の一つとして組み込んだ。

 

④予定に余裕のある日に③のスケジュールを実行。

スケジュールが細かく区切ってある上に開始時はアラームが鳴るので、途中でSNSに気を取られてもすぐ持ち直すことができた。

運動も面倒だったけど外に出て15分ほど近所を歩く。

夕方ころに眠くなってお昼寝をした。普段より早く作業を始められたのでお昼寝の余裕があって嬉しかった。その日が終わる頃には充実感と予想外の自尊心があった。

それがとても気持ち良く思えて、これからも続けたくなった。

 

1日の細かいスケジュールを達成するのは少し億劫になってしまったけど運動はなるべく続けている。歩数計アプリの目標達成を見るのが楽しくて散歩の時間も少しずつ伸びた。

散歩した後は頭がすっきりして作業に集中できるのに、程よい身体の疲労感があるせいか何かを心配したり考えすぎることが面倒になった。そして何より驚いたのは作業で疲れて休みたいタイミングに気付けること。身体の感覚が戻ってきた気がする。

更にその休憩時間で目につく部分を掃除したり凝り固まった腰肩をストレッチ。ここ数日は、すっかり忘れていたかぎ針編みセットを棚から引っ張り出してちまちま編んでいる。それらに夢中になると休憩を終えるのが名残惜しくなるけど、作業に戻れば戻ったで楽しいのだった。楽しいことのローテーションで寝る時間になるので翌日も楽しみになる。

 

作業の内容も前より良い方へ変わった。

おそらくダーニングクルーガー効果があったため自主制作ばかり時間をかけてやっていたけど、やっと基礎的なことが足りてないという事実を認識した。そこでチュートリアルを毎日見て練習するようになった。続けるのは面倒だけど上に書いたように楽しく過ごしているのでやれている。

質ばかりこだわることで伸びないなら、今までやってこなかった"質より量"を試したくなった。

 

結果、まだ数週間だけど少しずつ力がついてるのが分かる。誰かの作品を見るとぼんやり制作プロセスを予想できるように。あと作業スピードがなんとなく上がったような…

 

 

いつまで続くか分からないけど、今が今までで一番心身共に良い状態なのでこの記事にやり方を残しておく。

指針

何となく自分がどんな作品を作りたいのかようやく分かってきた。

出来た作品を見ると『この表現くらいすぐ思いつきそう』と思ったけど、クイズの答えを元から知っているからそれが簡単に思えるようなものだ。

パンはパンでも食べられないパンは?と訊かれて即答できるのは、私たちがフライパンという物体のことを知っているから。

 

今まで私は可愛くて美しくてグロテスクで気持ち悪くて生々しいものを作りたいと思っていた。でもそれが何なのか具体的なアイデアは無かった。

何度か考えつかないまま絵を描いたり、昔の絵を自分で3d化し思考をなぞることで、何がやりたいのか分かってきた。

前もここに何度か書いたけど、私は考えばかり沢山働いてしまう性格なので感情や思いをそのまま作品にすることが難しかった。

思考と作品が常に乖離していたため、いつもフラストレーションを感じていた。

 

踊りや歌は身体をそのまま媒体として使い表現できる。それがずっと羨ましかった。3dはパソコンを使うので理性の方が沢山働くものだと言い訳していたと思う。

今考えてみると、踊りや歌もしくみを分かっているからこそそれを通して表現できるものだ。一応経験のあるモダンバレエは踊っていて楽しかったけど、歌が下手な私は歌で表現することを考えられない。歌の表現か3dの表現、どちらの方が私の身体に近いかといえば3dだと思う。歌は声を使うので直接的と思いきや、私の歌の知識や経験は3dよりも乏しいから。

 

良い意味で最近"諦め"という選択肢を持つようになった。挫折ではなく、全てをコントロールすることが出来ないことをようやく身体で理解し始めた。全て完璧にやろうとすることは無理だと分かるのにかなりの年月がかかってしまった。

でもその余白のおかげで最近好きなように絵が描けるんだと思う。完璧な絵を描かなくていいから、途中で放棄せず完成できる。

 

 

大ファンの某グループがあり、半年前くらいに知ってからほぼ毎日曲を聴いたり映像を観ている。どれくらいのハマりようかというと、今まで生きてきた人生には無縁だった"推し"という存在が出来るほど。気になる人は「歌謡舞踊集団」で調べてみてほしい。

彼らの生命力に負けないように、私も自分のことをやっていけたらと思う。

 

波長の齟齬

仲良いと思ってた友達と突然気が合わなくなってきてしまった。

お互い言語の壁が立ちはだかってるのかと言われるとそうでもなく、むしろ友達がどういう考えで逐一振る舞っているのか透けて見えてしまうくらいだった。だからこそ独占欲や私の機嫌を直そうと動いてるように思えてずっと苛立ちと悲しみがあった。私は怒ってるんじゃなくて簡潔・明快に伝えようと真面目に話しているんだよ。

勿論私も未熟な人間であるから、こちらが全て正しい訳ではないことは分かっている。かといって向こうから私の主張について反論してくるかと思えば全くそうでもなく、最終的に相手が悪かった、ごめんなさい。と言われてしまう。

ハッキリ言うのはその場凌ぎの謝罪をして欲しい訳ではないし、ただ慣れ合いたい訳でもない。意見をぶつけ合ってお互いの作品を高め合いたいのに、彼女との関係では常に笑顔で頭を撫でられているだけのように感じてしまう。

 

最近はセルフワークとして感情をしっかり意識するようにしているのだけど自分や家族以外へ怒りを持ったのはかなり久しぶりだったので少し驚いた。

ただよく考えてみると、過去の自分を相手へ投影してしまって(≒自己嫌悪に近いものとして)必要以上に苛立ってしまうのかもしれない。

 

最近お魚目当てによく行くマーケットのおかげで曜日感覚が戻ってきた。マーケットの価格帯はなんとなくスーパーより高いものだと思っていたけど(こだわり無農薬野菜など)、意外とそうでもないみたい。

気が向いた時に魚の切り身を買い、家で簡易的な海鮮丼を作るのが最近のルーティンになっている。日系レストランで食べる1/3の値段でお腹いっぱい生魚が食べられるのは嬉しすぎる。スパゲッティなど普通の自炊費より少しかかるけど、これくらいで良い。なぜならこれ以上安上がりだと週の半分以上海鮮丼を食べてしまいそうだから…

私の世界一好きな食べ物は生魚なので、誰かと初対面の時は『寿司が一番好きなんだよね♪日本人だから♪』と自分からアピールしている。自己紹介で名前を覚えてもらう為の掴みはここ数年でかなり出来上がってきた。

 

最近青空の時間が増えてきたのでそろそろ冬も終わりに近いのかも。

この時期は少し苦手。早く初夏になって欲しい。

なんだかんだ本を読むのは

嫌いじゃないかもしれないとKindleアンリミテッドを漁りながら思った。ギリギリ自分が今持つ能力で理解できるかできないかくらいの内容の本を見つけられた時の嬉しさはテトリスで何列も一気に消すことができた時と似てる。

毎月どれくらい読むか決まってないけど活字に飢えているのは常日頃のことなので、適当に目についた本を読んで返してをベッド上からでもできるシステムと考えたらかなりお得かも。

 

ずっと前からリストに入れていたバラードの結晶世界(古本)をこちらのAmazonで購入した。ハンスベルメールの本も。語学力のハンデが内容を理解する上でのノイズにならないと良いけど、いずれ語学上達した後に読めるなら実質投資ということで後悔してない。

好きなものはやっぱりずっと変わらないんだよね、ハム太郎

 

知らないけどすごい人たちの作品をネットで見まくりすぎて自信が無くなった日だった。でも理解力ドンピシャな本を読めたことで気持ちが落ち着いたのでオッケーです。夜更かしするとすぐ心臓が痛くなる

 

 

コミュニケーション

 

普段は1時くらいにベッドへ行くような感じだけど、最近4時くらいに寝るような生活が続いている。

変に悩みすぎてっていう時もあれば、リラックス状態でアイデアが沢山浮かびすぎて眠れない時もある。そこで睡眠薬(サプリ?)を使ってみたところ本当にがっつり眠ることができたので良かった。ただしそれは8時間効くもので、昼過ぎまで眠ってしまったので翌日何も予定がない日に使おうと思った。

昨日の夜もなかなか眠れず、かといって翌日(今日)アトリエでミーティングがあったのでサプリを飲むこともできず、いっそ朝まで起きていることに…

と思いきや、いつのまにか寝落ちしていたみたいで待ち合わせにギリギリ間に合わない時間だった。半泣きで謝りの連絡を入れ、罪悪感で消えたかったがとりあえず向かった。

共同作業を行いながら初対面の人と人見知り+申し訳なさで全く話せなかったものの、アドバイスをもらいなんとか作業が成功した。これは1人では辿り着けなかった領域だった。自分がやってた作業が上手くいったこと、そしてその後あった不具合を一緒に解決できたこと、それだけでかなり気持ちが軽くなった。

その後なんとなくすぐ帰りたくないな…と思いながら話していてふと、趣味が近いことに気付いた。そこで最近ハマっているゲームの話をしたらがっつり話を楽しめる雰囲気になり、またいずれアトリエへ遊びに行くことになった。

 

一度信用を失ったら終わりだと思ってしまうので毎回自分の失敗を引きずるけど、それよりどう挽回できるか動く方が得だと思った。

今回上手くできてるなと思ったのは先月くらいまで全く知らなかったことにハマった結果、それを媒体として誰かと打ち解けられたこと。誰かと話を合わせる為にゲームにハマった訳ではなかったから、話題のひとつとしてすぐコミュニケーションに組み込めたのは偶然とはいえ驚いた。というかこれが普通にみんながやってることなのかも。

情報交換やはい・いいえで答えるような会話しか自分からあまり出来なかったので良い体験だった。

ファッションの効能

自分の趣味が少ないことがなんとなく精神状態にも関わってる気がしてきた。

かといって意識的に増やせるようなものでもないのだけど、好きなことを考えたりそれに対して時間を費やしている間は全く悲しくなる暇がない。

私の今持っている主な趣味は仕事と直結しているような部分があるので全くそれとは関係ない、許せるようなものへどんどん時間とお金を使うべきなんだろう。ミニマリストになりたい訳ではないけどいつも『無駄なものへ時間とお金を使いたくない』と思ってしまう。それは心の安寧の為には削ってならないものの時もある。

例えば、最近私は新しいジャケットを買った。

普段はダウンと別なコートを交互に着ていたけど、このコートのサイズは大きくて、なにより分厚いのでとても重い。その為身体が萎縮してしまうような感覚が着用後に感じられる。身体が疲れると精神やその日の予定にも影響してくるのでもうほとんど着ていない。

別なダウンは毎日着ているけど着用回数が多すぎるのと洗濯でヘタってしまっている。そしてなによりジッパーの始まり部分の布が少し裂けているので毎回着る時は注意しなければならなかった。アウトドアブランドのものだけど自分が好きなデザインなわけではなく完全に機能性で選んだものだったのでかなりダサかった。

どちらのアウターも、今考えてみると6〜7年前に買ったものだった。

いざ新しいアウターを買うとなるとかなり迷ったけど、何着かオンライン注文して試着して決めた。

新しいジャケットはやや白く、ふわふわの襟もきっちり顎の下まで閉められるようになっている。意外と暖かくてしかも思ってたより軽い。あととてもかわいいのでなんでも合いそう。

そして、1着新しいものを買って身につけるだけで自分へ抱く価値(?単語ど忘れした)が全然違うことに気づいた。『新しいものを身につけてるおしゃれな自分』というよりは、『自分の為に自分が選んだ自分の好きな物を着ている自分』という、自分の為に動いた感がなかなか効く。

精神がアレになり通信高校に行き始めた頃は大好きなブランドのロリィタ服を着ていると心が落ち着いたり元気になれたことを思い出した。もちろんバイト代なんてたかが知れてるけど、それでも頑張って買った新品のさくらんぼ柄スカートのことをまだ覚えている。

 

服飾を一応学んだ身なのに、今の自分はファッションからとても遠いところにいるなと今気づいた。なぜ?どこかに罪悪感がある。

労働することによってしかこれは解決できないことだと思うので、早く安定した仕事を見つけたい。

 

 

たまに寝てる間に別の意識(起きている)がうっすら続いていて寝てる自分と起きている自分が同時に存在することがあってなんとなく気持ち悪いし、そういう時は漠然と悲しく寂しい気持ちも併せ持っている。これが無くなったら自分は本当に良くなるかもしれない。

 

とりあえずもっとファッションを考えたり楽しむことをしていきたい。あと、本を読みたい。

暇な時間があるとだらだらしてしまうのをやめよう。

発声練習

ようやくカウンセリングの予約が取れて、今日は予約の日だった。カウンセラーが少し高圧的に感じてしまったのと初めてで緊張していたため、ずっと泣きながら話してしまった。相性が良いかまだ分からないけど来週もお試しで行くことになった。これでこの人と合わなかったとして、また新しいカウンセラーに状況を1から話すことになるなら面倒くさくて骨が折れそう。

世界には辛い人がたくさんいるんだから、私の分の時間をそっちに使って欲しいと思ってしまう。でもその一方で自分の話をしてるとき『本当に救われたい』という気持ちでいっぱいで大袈裟に話してる気もする。なぜそんなに悲しいんですか?と聞かれて「分かりませんが、悲しみをアピールして助けを乞いてるんでしょうね」と即答する自分が居た。

 

某アニメの2期放送が終了し悲しかったのも束の間、最近は某ゲームにハマっている。サントラも良いしストーリーもキャラも街の様子も良い。この世界でクエストをこなしながら様々なロボットを倒していくのが爽快。ゲームは恋人所有のものなので、会う時にしかできないのは逆に良かった。そうでもなければ毎日延々とプレイしていたことでしょう…。

 

ずっとラジオ的なポッドキャスト的な声の日記的なものをやりたいと思っていながらそのままになってしまっている。文章がまとまらないので話すのが苦手だけど、声を発するのは好き。ちなみに歌うことは苦手。