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深い意味も背景もない文章の連なり

文章を書くととても落ち着くのでがむしゃらに書く。

 

もっと生き急ぎたい。人に嫌われないように、平穏を維持できるように、と変に頑張ることへ疲れてしまった。そんなことしても嫌われるときは嫌われるし、好かれるときは好かれる。被害妄想をして落ち込んでいる非生産的な暇はない。早く何らかの真実に辿り着きたい。いつかどこかで出会う素敵な人たち(*恋愛に限らず)と会ってから自分を変えようとすることは、道理にあってないことへ気づき始めた。なぜならそれは、未来の人に自分の変化を委ねていることになるから。未来への負債。『生き急ぐ私に着いて来れる人だけ私の人生の登場人物にさせてあげるよ』ぐらいの気持ちでいると楽になるのかもしれない。人は良くも悪くもどんどん変わっていく。その変化に適応するには、自分も変わっていくことを肯定するしかない。変わらないということは窓の開かない部屋のようなものだと思う。(気温が保たれて一瞬快適に思えるけど、匂い、湿度、二酸化炭素量など、その場にいるだけでは気づけない不快感)

 

⚪︎歳になったらあれをして、さらに△歳になったらこれをしてという計画を立てると自分の人生に輝きが増すと同時に何も分からない未来に想いを馳せることへの苦手意識が顔を出す。ただしこれは自分でそう思い込んでるだけかもとも思う。今まで苦手だったアナログ時計をいざ机に置いてみたら、一日の残りがあと何時間何分何秒あるのかすぐ理解できることにすごく安心したのだった。それはつまり、自分の人生が永遠ではないことが分かっていることとほぼ同じような意味でもある。

 

今私はパラレルワールドの分岐点を縫うように移動している。『"今"と同じ相手と将来も居たい』と思うのではなく、『未来の相手と居る自分』に行き着くためにはどのようなルートで自分が日々生まれていくのか?を気にして生きていきたい。今と同じことなんて何もない。

 

 

 

過去の下書き

・芸術は人と話すのが苦手な人でもできるけど、作品をより良くしたいなら絶対に誰かと対話しなければならない。その対話は作者の言語化能力(自己開示力を含む)に依存するが、作品を通して生まれる訴求力も不可欠。

・作品を作って発表することは世界に存在するということでもある。